日本の裁判で最初に認められたプライバシー侵害
人に知られたくない秘密が,インターネット上で公開されてしまったら。
今日は「プライバシー侵害」について取り上げてみたいと思います。
実は,裁判所が「プライバシー(権)」について明確に認めたのはそれほど古い話ではありません。
実際のモデルを持つ小説が招いたプライバシー侵害。
読者の皆さんは,『金閣寺』などで知られる小説家の三島由紀夫氏が,昭和35年11月に新潮社から出版した『宴のあと』という小説をご存知でしょうか?
新潮社ウェブサイトより
「プライヴァシー裁判であまりにも有名になりながら,その芸術的価値については海外で最初に認められた小説。都知事候補野口雄賢と彼を支えた女性福沢かづの恋愛と政治の葛藤を描くことにより,一つの宴が終ったことの漠たる巨大な空白を象徴的に表現する。著者にとって,社会的現実を直接文学化した最初の試みであり,日本の非政治的風土を正確に観察した完成度の高い作品である。」
この小説は,外交官を経て外務大臣をつとめ,昭和30年,34年と2回にわたって東京都知事選に立候補した有田八郎氏をモデルにしたもので,『After the Banquet』というタイトルで英訳版も出版されています(英訳はドナルド・キーン氏)。
主人公・野口雄賢のモデルとされた有田氏は,「宴のあと」の内容によって精神的苦痛を受けたとして,三島氏及び新潮社に100万円の損害賠償や謝罪広告の掲載を求めました。これを,「「宴のあと」事件」といいます。
判決文によれば,有田氏の主張は次のようなものでした。
・「宴のあと」は原告及び畔上の実名を挙げたモデル小説と異るところがないものであり,原告が畔上とはじめてあうところから最初の接吻(被告新潮社発行の「宴のあと」の六五頁),最初の同衾(同八三頁),結婚後の夫婦の愛情と確執(同全般),妻に背かれる夫(同二四六頁ないし二八九頁)を描写し,原告と畔上との閨房についてまで想像をめぐらして具体的な描写を加え(同一三六頁),その間に前述のような世間周知の事実を交えて原告がモデルであることを読者に意識させながら空想あるいは想像によつて原告の私生活を「のぞき見」するような描写を行つている。
・「宴のあと」は原告の私生活をほしいままにのぞき見し,これを公表したものでありこれによって原告は平安な余生を送ろうと一途に念じていた一身上に堪えがたい精神的苦痛を感じた。
このような有田氏の訴えについて,東京地方裁判所は昭和39年9月28日,三島氏と新潮社が連帯して,有田氏に80万円を支払うよう命じました(謝罪広告の掲載は認めませんでした)。
東京地方裁判所(裁判官:滝田薫,山本和敏,石田哲一)は,「プライバシー権」という概念が「私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利」であると認めました。
これが,プライバシー権について明確に言及された初めての裁判例とされています。
プライバシー侵害の境界線
ところで,「私生活に関すること」であれば,何でもかんでもプライバシー権によって法的に保護される,という訳ではありません。
東京地方裁判所は,有田氏の訴えを判断するにあたり,プライバシーが侵害されたことに対して法的な救済が与えられるには,「公開された内容が,
(イ)私生活上の事実または私生活上の事実らしく受け取られるおそれのあることがらであること
(ロ)一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合公開を欲しないであろうと認められることがらであること,換言すれば一般人の感覚を基準として公開されることによって心理的な負担,不安を覚えるであろうと認められることがらであること
(ハ)一般の人々に未だ知られていないことがらであること
でなければならない」としました(また,このような公開によって,実際に不快,不安の念を覚えたこと,という要件も挙げています)。
プライバシー権の現在
「宴のあと」事件以降,プライバシーについて多くの裁判例が積み重ねられています。次回は,そうした裁判例についていくつかご紹介したいと思いますので,どうぞお楽しみに!