一度犯した罪は許されない?罪はいつまで背負うべき?
Googleで検索できてしまう犯罪歴。更生を妨げる現実。
毎日新聞ネット版H27.7.2付き記事によれば,過去の逮捕報道がグーグルの検索結果として表示されるのは人格権侵害にあたるとして,グーグルに対し検索結果の削除を求めた裁判(仮処分)において,裁判所は検索結果削除を命じる決定を出した,ということです。
上記記事によれば,「児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律」違反で逮捕され,罰金刑を受けた男性が,現在でも,自分の名前や住所を入力してグーグル検索すると,そのときの逮捕報道が検索結果として表示される,という状況であったようです。
以前に「裁判例からみるプライバシー権あれこれ2」で取り上げた「ノンフィクション『逆転』事件」(最高裁判所平成6年2月8日判決(民集48巻2号149頁))では,「ある者が刑事事件につき被疑者とされ,さらには被告人として公訴を提起されて判決を受け,とりわけ有罪判決を受け,服役したという事実は,その者の名誉あるいは信用に直接にかかわる事項であるから,その者は,みだりに右の前科等にかかわる事実を公表されないことにつき,法的保護に値する利益を有する」ものであり,「その者が有罪判決を受けた後あるいは服役を終えた後においては,一市民として社会に復帰することが期待されるのであるから,その者は,前科等にかかわる事実の公表によって,新しく形成している社会生活の平穏を害されその更生を妨げられない利益を有する」とされていました。
この判例にしたがえば,今回のケースでも,この男性は「新しく形成している社会生活の平穏を害されその更生を妨げられない利益」を有するのではないか,といえそうです
何でも削除が認められるかというとそうではない。その基準とは?
ただし,一定の場合には前科等の公表が許されるとされており,「前科等にかかわる事実を公表されない法的利益」と,「前科等にかかわる事実につき,実名を使用して著作物で公表する必要性」とを比較して,前者のほうが優越する場合には損害賠償を求めることができると最高裁はいっています(逆にいえば,公表する必要性が上回る場合は,公表が許される=損害賠償は認められない)。
今回の決定を出したさいたま地裁も,「事件後の時間の経過や歴史的・社会的意義,当事者の影響力などを考慮し,逮捕歴を公表されない利益が上回る場合は,削除が認められる」としました。
そして,具体的な判断としては,検索結果として逮捕報道が表示されることにより男性が受けた不利益は回復困難で重大であり,平穏な社会生活が阻害される恐れがあるとして,削除すべきとしました。
削除に反対する意見も。しかし,更生するチャンスを潰すことにも・・・。
ところで,このように「犯罪についての報道(情報)」をインターネット上から削除することについては,「知る権利を害する」や,「犯罪者(加害者)を不当に保護している」といった反対意見もみられるところです。
しかし,インターネット上の情報は,削除されない限り永続的に存在し,瞬時にかつ広範囲に拡散し,さらに,(新聞や雑誌等の紙媒体とは違って)古い情報であってもきわめて容易にアクセスできるという性質を持っています。
犯罪から長期間を経過しても,刑罰を受け終わっても,過去に犯した罪についての情報が消えることがないという状況は,真面目に生きていこうと更生に努めている人の努力を潰してしまうことにもなりかねないのではないでしょうか。
教育心理学においては,「教師が期待しないことによって学習者の成績が下がること」を「ゴーレム効果」とよんでいるそうです(逆に,期待することによって成績が向上することは「ピグマリオン効果」とよばれ,アメリカの教育心理学者であるロバート・ローゼンタール(Robert Rosenthal )によって1960年代に提唱されたそうです)。
このような「ゴーレム効果」が実際に認められるのだとすれば,周囲の人が「こいつは犯罪者だ」という目で見続ければ,その人は,本当は一所懸命努力して更生しようとしていたのに,「どうせ周りは犯罪者としかみていない」という気持ちになり,結果,再び罪を犯してしまうということもあり得るのではないか,と思いました。
簡単に結論のでない難しい問題ですが,あなたはどのように考えるでしょうか。